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おやじによる
おやじブログ

2018.09.20おやじの日常

若かりし頃のおやじが不動産屋になるまで ~その2~

こんにちは。

おやじ2人で毎日頑張って営業中!

おやじ不動産こと不動産屋リアルト長野の

樋口 正志  です。

 

 

~その1~に引き続き、おやじがこの不動産屋になるまでをお話ししたいと思います!

 

~前回のあらすじ~

2度の借家からの立ち退き→家を持ちたい!不動産屋に俺はなる!→

宅地建物取引主任者という資格が必要→難しいらしい・・・勉強する時間が必要→

仕事即やめる→1日12時間猛勉強→無事資格取得!不動産屋に就職するぞ!←今ここ

 

さて、宅地建物取引主任者(略して宅建)の資格を無事取得した私ですが・・・

私の夢は資格を取得することでも、不動産屋になることでもなく、

『不動産屋になって、自分の理想の家を買うこと』なんです!

なので、資格を取得して次に考えたのが、

『どこの不動産屋に就職すれば、自分の理想の家が買えるのか?』ということでした。

とりあえず情報収集から!と行きたいところですが、インターネットがまだここまで

普及していない時代なので頼りになるグーグル先生もいません。

結局行きついたのは無職の時にもお世話になったハローワークでした。

 

ハロワの紹介で、町の不動産屋の面接を受けるも、

『未経験者がこの世界でやるのは時間がかかるんだよ。他で修業してきてね。』

と冷たくあしらわれて採用ならず。

そして次に紹介されたのは、本社は東京都新宿区にある住宅会社で、

営業所の一つが長野にもある会社でした。

 

問い合わせてみると、すぐ面接をすると言われ、その足で面接に行きました。

長野営業所の所長さんの面接のみだったのですが、

すぐに採用決定!!!わーいわーい♪

昭和62年1月1日付での採用が決まったのでした。

この時は、脱無職!!!こんなに早く就職できるなんて超ラッキー♪♪

なんて浮かれていました。

 

ルンルン気分で新年早々、初・出社☆

面接では説明がなかった給与体系の説明から始まりました。

 

そこで愕然としました。

え?

月額基本給30,000円

さ、さんまんてなに?ご祝儀かよ なんて思っていると

その他は歩合給です。とのこと。

 

「さんまん」も「歩合給」も意味が分かりません。

詳しく聞くと3万円は毎月ちゃんと払われる額で、

それ以外の給与は、契約を取ってきて、その契約の金額に応じて支払われる、ということでした。

そしてボーナスはその成績を基に査定して額が決められるとのことでした。

一気に不安になってきました。ついさっきまであんなにルンルンだったのに・・・

さらに不安要素を増やす説明は続きます。

名刺やパンフフレット類は個人で購入、営業に使う車やガソリン代ももちろん個人負担、

健康保険は社会保険ではなく国民健康保険で保険料も個人負担。

最終的には「会社の名義は借りてるだけの個人事業」ということが判明!!

 

どうしようー!!!辞めるか?!

・・・けど、不動産屋は未経験のままだと採用が難しそうだし・・・

とれた資格もやっと活かせるし・・・

何より早くお金を貯めて自分の家が欲しい!!!

もうここで頑張るしかない!

とワケの分からない何かに追い込まれた私は、

このちょっと危ない会社で、

住宅営業の仕事をスタートしたのでした。

 

入社したはいいけど、右も左も分からない全く未経験の新人の私。

もちろん誰か先輩が仕事を教えてくれる・・・訳ありませんでした。

一から教えてくれるような先輩はおろか、アドバイスをくれる先輩もいません。

皆朝礼後に一斉に秘密の営業に出かけていきました。

住宅の知識がない私は、どんなところを訪問して、何を話せば良いのか

さっぱり分かりませんでしたが、飛び込みで営業をしました。

 

飛び込み営業を繰り返し、あっという間に1カ月。

初めての給料日です。

毎日飛び込みで営業はしたものの契約は得られませんでした。

でもあんなに頑張ったのだし、いくらなんでも3万はないだろと思いながら

明細を確認すると

 

なんと0円

 

あれ、見間違いかな?

 

むしろよく見ると、0円どころか、立替金なる項目があります。

名刺、パンフレット代が給与額をオーバーしているため、

その分を会社に支払って下さい、ということでした。

常識ではありえないことが起きている・・・。

 

というかこれってつまり、

ただ働きどころかマイナス働き。

働けば給与はいただけるもの、と信じていた自分の概念はぶっとびました。

この1ヶ月はなんだったのか・・・。

 

そうは言っても支払わない訳にはいきません。

前職時代全く貯金もしていなかった私は、その立替金なるものを支払える蓄えがなかったので

クレジット会社からのカードローンでお金を借りて、会社へ支払いました。

 

1カ月働いて、なぜか借金をしてしまった私は、もう一度ガムシャラに働く決意をしました。

なんとしても次は給料をもらわねば!

 

そして毎日毎日飛び込み営業を繰り返し・・・

やっと!!!努力が実を結びました!!!

 

大きな畑の中のビニールハウスの中で農作業に勤しむ年配の女性に

「農作業大変ですね。アパートでも建てて運営し身体を楽にしませんか?」

と聞きかじりの知識で恐る恐る話しかけてみると、

農作業の手を休め、素人同然の私の話しに耳を傾けてくれました。

そこに偶然息子さんも来られ、その息子さんも一緒に話を聞いてくれることに。

一度目の訪問で、しかも立ち話しのような状況でしたが、

『どうしたらアパート経営が出来るのか詳しく聞かせて欲しい』と、

かなりの盛り上がりになりました!

 

そこで一旦帰社し、所長に事の顛末を伝え、同行してもらいもう1度訪問しました。

一度の訪問ですぐに話しが進むわけないよな~と思っていましたが、

さすが百戦錬磨の所長さんです。

その場でほぼほぼ建設への同意を取り付けてしまい、

その後は融資、建築確認と全てお任せ状態でしたが、とんとん拍子に契約へ。

 

次の給料ではその契約の成績が反映され、

100万円支給されました

カード会社の借金も無事返済!ふぅ

神様っているんだぁ!

 

成績給が支給されてから、暫くはお金に困ることはないし、建物の勉強にもなるし、

何より他に行くあてもないので、毎日ひたすら現場へ行き進行状況を写真に収めました。

そんな時に現場のお隣さんから声をかけられ、自宅に招き入れられました。

もしかして何か苦情でも言われるのか???とビクビクしていると、

「普通は建設が始まると営業マンはそう現場には来ないもんだけど、お宅は本当に熱心だね。」

「自分が所有する空き地に同じようにアパートを建てて欲しいんだけど。」と!!!

まさに晴天の霹靂です。

またもや契約へと、とんとん拍子に話しが進みました。

 

2件目の成績給も100万円支給。

営業所内でトップの成績になり、支店長からも褒められたりしました。

 

所長からは、

『このペースでいけば年収1,000万は簡単にクリア出来るよ~。

どっかに土地買って、家建てちゃいなよ』

と煽られ、すっかりその気になってました。

そうです、私の夢は自分の家を手入れること。

日も早く自分の家を!と言い聞かせ、その後は営業と物件探しの日々が続きました。

 

そんな時に先輩社員から、

『中古住宅の売り物が出るんだけど買わない?』と声をかけられました。

物件を見ると、当時住んでいた借家からわずか100m程度にある住宅です。

価格は3,000万位だったと記憶しています。

場所も建物も文句の付け所がないものでした。

・・・とは言えまだ、おやじになる前。若干24歳でした。

勤務年数が少ないため、銀行からの住宅ローンではなく、信販会社の住宅ローンで

当時の金利が7%とか8%で毎月25万くらいの返済です。

確かに営業成績も立て続けに二本の契約がとれ成績給もかなり支給されましたが、

毎月25万を20年返済する勇気はどこからも生まれて来ず、購入は泣く泣く諦めました。

 

そんな頃、一番最初に面接を受けた不動産屋

『もう一度面接に来ない?』と連絡が来ました。

なんでも、営業経験がある人を雇ったものの、わずか3ヶ月程度で辞めてしまって

逆に未経験者の方がいいと思ったらしいです。

 

こうしてやっと、不動産屋になることができたのでした。

きらーん

 

 

そして念願の家を手に入れるのはまた別のお話・・・続きはあるのか?

 

それでは~。

 

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